お知らせ
「かもめ通信2019夏号」ができあがりました。
当館の7月~8月末までの、イベントの詳細を掲載しています。
こちらのチラシは館内配布、区内施設や、その他文学館などの一部でも配布しております。お手にとっていただけるように、順次準備をしております。
こちらからもご覧いただけます。ぜひ、ご覧ください。
【右】与謝野晶子『草の夢』 日本評論出版部 大正11年9月
5月より令和が始まりました。
当館では4月より新しい時代の幕開けを記念して、鴎外の晩年の業績を紹介しています。
鴎外は、大正5(1916)年陸軍軍医総監・医務局長を辞任後、大正6(1917)年12月に帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に就任します。図書頭として鴎外は、歴代天皇の謚(おくりな)の出典考証(『帝謚考(ていしこう』)や、大化以来の元号考証(『元号考』)などに取り組みました。
明治天皇の崩御、乃木希典の殉死を機に、歴史小説・史伝へと新たなジャンルと自身の文体を拓いた鴎外の最晩年の仕事です。歴史の過去を顧みるだけでなく、未来の日本にとって重大な欠落がないように憂慮した鴎外の周到な姿勢をご覧ください。
*常設展示の中のミニコーナーとして展示中です。
一葉筆三宅花圃宛書簡 明治25年8月4日付 台東区立一葉記念館蔵
一葉は、かつて文京区内にあった歌塾・萩の舎(はぎのや)に通っていました。萩の舎は歌人・中島歌子が明治10年頃に開いた塾で、華族や良家の子女が多く在籍していました。萩の舎の姉弟子に、三宅花圃(田辺龍子)がいます。花圃(かほ)は明治21年に小説『薮の鶯』を刊行し、一葉に先立って世に知られる存在となっていました。
本書簡は、一葉が花圃に宛てたものです。当時、一葉は雑誌「武蔵野」に『五月雨』を発表したばかりでしたが、「武蔵野」主宰であり小説の師である半井桃水から距離を置いていました。花圃は、そんな一葉を文芸雑誌「都の花」に紹介します。
書中で一葉は、同誌に掲載予定の作品を明治25年7月中に脱稿するつもりが、肩こりや頭痛のため遅れていることについて、丁重に詫びを入れています。このとき執筆していたのが小説『うもれ木』で、本作は「都の花」95~97号(明治25年11月~12月刊)に掲載されました。
鴎外主宰雑誌「めさまし草」掲載の合評『雲中語』によると、鴎外は一葉没後に刊行された全集で本作を読み、まだ未熟ながらも「亡き人の惜まるゝなり」と言葉を寄せました。
本資料は、5月6日(月・祝)までの限定展示です。(5月7日以降は複製を展示します)
また、明日4月17日(水)は、14時よりギャラリートークを開催します!
この機会に是非ご覧ください!(ギャラリートークは申込不要ですが、観覧券が必要です)